遺物から見えるもの
ちゃこ
2026/04/17
昔から吉野ヶ里では、畑に土器や石器がゴロゴロ散乱していたそう。
中には人骨が残っていた甕棺もあったとか 😱
弥生時代中期
青銅器の製作技術が伝来します。
最も古い時期の青銅器の鋳造に用いられる鋳型が北部九州で多く発見されています。
でも青銅器といえば有名な銅鐸は、北部九州ではほぼありません。不思議。
日本最古の蝶つがいがありました。
木の蓋などを開閉するためのものですが、蝶つがい自体が貴重だったはず
おそらく葬具などのセットを入れたのだろうと言われています。
北内郭では多くの銅剣が出土しています。
そして甕棺といえば
弥生時代の北部九州だけに見られる特徴です。
甕形の素焼きの土器を2個あわせて棺にしています。
必然的に屈折葬になる。なぜ甕にしたのか?
貝の装飾も出土しています。
この貝は奄美諸島以南の海にしか生息していない大型の巻き貝で作られています。
南方の島と北部九州は弥生時代に貝の運搬ルート「貝の道」を作っていたようです。
貝は、あくまでも装飾品。南方でしか採れない貝を使う事に意味があったのでしょう。
それはなんだろう?